柿本神社
明石市人丸町1-26
稲爪神社で、「人丸神社」を教えて貰って、その方向へ進むと、
一旦駅に戻る形になったので、駅前の地図を確認したら、「人丸神社」がない。
あれ?っと思ったが、とりあえず「柿本神社」があったので、
そっちへ行ってみることにした。

明石と言えば、明石の天文科学館。
人丸前の駅ホームから、天文科学館を見る。
時計台とドームの間に見える、青い屋根は柿本神社の神門。

駅から坂をテレテレ登り、天文科学館を過ぎたところで、社号標。
おお、神社にも山号が?
まあ、この辺りの山が、人丸山って言うんですけど。

入ってすぐに、末社の五社稲荷社。

後の末社は、境内の右側。
天神社と、三宝荒神社。

拝殿。
御祭神は柿本人麿。

拝殿前の狛犬は、明石市内で、もっとも古い物。

猫で言うとωの部分、マズルがステキ。

御朱印を頂くときに聞いてみた。
人丸神社はどこなのか。
人丸神社=柿本神社なんだそうだ。
そうなんだ。

稲爪神社で、「人丸神社」を教えて貰って、その方向へ進むと、
一旦駅に戻る形になったので、駅前の地図を確認したら、「人丸神社」がない。
あれ?っと思ったが、とりあえず「柿本神社」があったので、
そっちへ行ってみることにした。

明石と言えば、明石の天文科学館。
人丸前の駅ホームから、天文科学館を見る。
時計台とドームの間に見える、青い屋根は柿本神社の神門。

駅から坂をテレテレ登り、天文科学館を過ぎたところで、社号標。
おお、神社にも山号が?
まあ、この辺りの山が、人丸山って言うんですけど。

入ってすぐに、末社の五社稲荷社。

後の末社は、境内の右側。
天神社と、三宝荒神社。

拝殿。
御祭神は柿本人麿。


拝殿前の狛犬は、明石市内で、もっとも古い物。


猫で言うとωの部分、マズルがステキ。

御朱印を頂くときに聞いてみた。
人丸神社はどこなのか。
人丸神社=柿本神社なんだそうだ。
そうなんだ。


スポンサーサイト
稲爪神社の摂末社
稲爪神社
鳥居 449、450
休天神社
明石市大蔵天神町2−7

腕塚神社から、元の道に戻る。
腕塚神社への道しるべの向こう、フェンスの内側に、休天神社の社号標?
…と、思ったら、これも道しるべだった。

歩道橋の下にバス停。
まあ、人丸前駅からも、歩いてすぐなんだが。
神姫バスの方が便利な人は、ここで。

手水の水口は牛。

拝殿。

拝殿の内側。

本殿。
御祭神は菅原道真。
境内には、道真公の腰掛けた石があるんだとか。
あれ?あったっけ?撮ってないわー(;´∀`)
そういえば、須磨区には綱敷天満宮があって、
太宰府に行く途中で休憩した言い伝えが残ってたっけ。
「休み」天神社だし、ここでも休んだのか。
それとも、ここは別の時に来て腰掛けたのか。
由緒書きっぽい物が見つけられず、かつ人もいなかったので、よくわからない。
須磨から明石って、そんなに遠くない感じ。
船移動だと思ってたんだけど、陸路だったのかしら?

神社前の歩道橋に上ったら、上から本殿が見えたので、撮ってみました。


腕塚神社から、元の道に戻る。
腕塚神社への道しるべの向こう、フェンスの内側に、休天神社の社号標?
…と、思ったら、これも道しるべだった。

歩道橋の下にバス停。
まあ、人丸前駅からも、歩いてすぐなんだが。
神姫バスの方が便利な人は、ここで。

手水の水口は牛。

拝殿。

拝殿の内側。

本殿。
御祭神は菅原道真。
境内には、道真公の腰掛けた石があるんだとか。
あれ?あったっけ?撮ってないわー(;´∀`)
そういえば、須磨区には綱敷天満宮があって、
太宰府に行く途中で休憩した言い伝えが残ってたっけ。
「休み」天神社だし、ここでも休んだのか。
それとも、ここは別の時に来て腰掛けたのか。
由緒書きっぽい物が見つけられず、かつ人もいなかったので、よくわからない。
須磨から明石って、そんなに遠くない感じ。
船移動だと思ってたんだけど、陸路だったのかしら?

神社前の歩道橋に上ったら、上から本殿が見えたので、撮ってみました。


腕塚神社
明石市天文町1丁目1

山陽電車人丸前駅で降りて、国道2号線の人丸前交差点に向かおうと、
信号を渡ったところで、「腕塚神社」という道しるべを見つけた。
下調べした地図にはなかったが、道しるべの指す方に行ってみると、
小さな神社があった。

手水。

本殿右にある祠。
境内に由緒の書かれた碑が2基、本殿に印刷した縁起も常備されていたが、
どなたがお祭りされているかは、解らなかった。

御祭神は、薩摩守平忠度(ただのり)
清盛の弟で、一ノ谷の戦いに敗れ、明石の両馬川で岡部六弥太忠澄に討たれた。
その時切り落とされた腕を埋めたという小さい祠が、
山陽電車の線路脇にあったが、高架工事のため、現在の位置に遷された。
腕の病に霊験あらたかだとかで、神社にある木製の右手で、
患部を撫でればよくなると言われている。
…神社の右側に、鎖でつながれた木の棒があったけど、あれのこと?
棒にしか見えなかったけど、みんながなでなでするからすり減ったんだろうなあ。


山陽電車人丸前駅で降りて、国道2号線の人丸前交差点に向かおうと、
信号を渡ったところで、「腕塚神社」という道しるべを見つけた。
下調べした地図にはなかったが、道しるべの指す方に行ってみると、
小さな神社があった。

手水。

本殿右にある祠。
境内に由緒の書かれた碑が2基、本殿に印刷した縁起も常備されていたが、
どなたがお祭りされているかは、解らなかった。

御祭神は、薩摩守平忠度(ただのり)
清盛の弟で、一ノ谷の戦いに敗れ、明石の両馬川で岡部六弥太忠澄に討たれた。
その時切り落とされた腕を埋めたという小さい祠が、
山陽電車の線路脇にあったが、高架工事のため、現在の位置に遷された。
腕の病に霊験あらたかだとかで、神社にある木製の右手で、
患部を撫でればよくなると言われている。
…神社の右側に、鎖でつながれた木の棒があったけど、あれのこと?
棒にしか見えなかったけど、みんながなでなでするからすり減ったんだろうなあ。


鳥居 208
神泉苑のご朱印
御霊神社
鳥居 444~448
雲住寺
鳥居 440~443
瀬田橋龍宮秀郷社
大津市瀬田2丁目1-9
最寄り駅は、京阪の唐橋前。
橋守地蔵の後ろ側。

生け垣に半分隠れた看板。

どうにかこうにか、腕を伸ばして撮ってみたら、
瀬田橋龍宮秀郷社の由緒書き。
この左側の道を行くと。

右社務所、真ん中鳥居で、左がお寺。

手水には、さすが龍宮だけあってか、龍が二匹。

ここは拝殿になるのか。
右が龍王宮、左が秀郷社。

それぞれに、黒地に金字で由緒らしきものが書かれているが、判読不能。
秀郷社側に掲げられていた、額入りの縁起によると、
龍王宮は、大神霊龍王が祀られていて、古来瀬田川には
龍神が居ると言われていて、昔は橋が社になっていた。
橋中央に、特殊な橋杭が打ち込まれていて、これを龍神の御霊代にしていた。
1440年頃、橋が現在のところに移転してきた際に、
工事中の権殿として、この社が建てられ、いつしか本宮となったらしい。
また秀郷社は、藤原秀郷が祀られ、秀郷公は、百足退治の俵藤太で、
瀬田川の龍神に頼まれて、オオムカデを退治した伝説で有名。
百足退治の伝説の真相は、将門の乱ではないか、と書いてあった。

最寄り駅は、京阪の唐橋前。
橋守地蔵の後ろ側。

生け垣に半分隠れた看板。

どうにかこうにか、腕を伸ばして撮ってみたら、
瀬田橋龍宮秀郷社の由緒書き。
この左側の道を行くと。

右社務所、真ん中鳥居で、左がお寺。

手水には、さすが龍宮だけあってか、龍が二匹。

ここは拝殿になるのか。
右が龍王宮、左が秀郷社。

それぞれに、黒地に金字で由緒らしきものが書かれているが、判読不能。
秀郷社側に掲げられていた、額入りの縁起によると、
龍王宮は、大神霊龍王が祀られていて、古来瀬田川には
龍神が居ると言われていて、昔は橋が社になっていた。
橋中央に、特殊な橋杭が打ち込まれていて、これを龍神の御霊代にしていた。
1440年頃、橋が現在のところに移転してきた際に、
工事中の権殿として、この社が建てられ、いつしか本宮となったらしい。
また秀郷社は、藤原秀郷が祀られ、秀郷公は、百足退治の俵藤太で、
瀬田川の龍神に頼まれて、オオムカデを退治した伝説で有名。
百足退治の伝説の真相は、将門の乱ではないか、と書いてあった。


橋守地蔵
大津市瀬田2丁目1
建部神社を出て、京阪の唐橋前駅を目指す。
バスは目の前で行ってしまったし、「瀬田の唐橋」も見たかったしね。
フラフラ歩いていると、観光地図発見。
どうやら、瀬田川沿いの、唐橋近くに神社がある模様。
そこへ向かう途中、唐橋のたもとに、お地蔵さん。

よくある、街角のお地蔵さん?

右横に、唐橋の架替略歴。

後ろには、橋守地蔵の縁起が。
なんでも、ここに納められている石仏は、昭和51年の架け替え工事の際に、
中央橋脚の基礎の地下から出てきたんだそうで。
そして実はこの石仏は薬師如来像なんだけれども、
一般人に解りやすく、親しみやすいだろうと、通称を橋守地蔵と名付けたとか。
(゚Д゚)え?
如来と菩薩じゃ、格が…とか言うのはおいといても、
お地蔵さんほどでなくても、薬師如来はメジャーだと思うの。
橋守薬師じゃ、ダメだったのかな?

建部神社を出て、京阪の唐橋前駅を目指す。
バスは目の前で行ってしまったし、「瀬田の唐橋」も見たかったしね。
フラフラ歩いていると、観光地図発見。
どうやら、瀬田川沿いの、唐橋近くに神社がある模様。
そこへ向かう途中、唐橋のたもとに、お地蔵さん。

よくある、街角のお地蔵さん?

右横に、唐橋の架替略歴。

後ろには、橋守地蔵の縁起が。
なんでも、ここに納められている石仏は、昭和51年の架け替え工事の際に、
中央橋脚の基礎の地下から出てきたんだそうで。
そして実はこの石仏は薬師如来像なんだけれども、
一般人に解りやすく、親しみやすいだろうと、通称を橋守地蔵と名付けたとか。
(゚Д゚)え?
如来と菩薩じゃ、格が…とか言うのはおいといても、
お地蔵さんほどでなくても、薬師如来はメジャーだと思うの。
橋守薬師じゃ、ダメだったのかな?


建部大社の摂末社とか、狛犬とか(一部)
鳥居 433~439
建部大社
鳥居 431、432
膳所神社
鳥居 427~430
豊国神社~旧ブログから
大阪市中央区大阪城2-1
大阪城内にある神社。
大阪城は広いので、最寄り駅は多数ある。
地下鉄なら、大阪ビジネスパーク、天満橋、谷町四丁目、森ノ宮。
京阪なら、天満橋。
JRなら、大阪城公園、森ノ宮。
豊国神社なら、森ノ宮か谷町四丁目辺りが比較的近いかも。

天守閣への門の近くの、社号標。

一の鳥居。

鳥居をくぐったところに、豊臣秀吉の像。

二の鳥居は、四角い柱の住吉鳥居。

拝殿前の狛犬。

拝殿。
元は中之島にあったが、戦後大阪城に移転したとか。
御祭神は、「豊臣秀吉公」「豊臣秀頼公」「豊臣秀長卿」

裏参道の社号標。

裏参道の鳥居。
森ノ宮から上がってくると、たぶんこっちに着く。

境内社の鳥居。

若永神社。
今、じっくり見るまで、「若水神社」だと思ってたよ(;´∀`)
御祭神は宇迦之魂神。
元は、淀屋橋の豪商、淀屋の屋敷内にあった稲荷神社だそうだ。
與杼(よど)神社の、高灯籠の淀屋さんと同じなんでしょうか。

白玉神社。
こちらも宇迦御魂神を祀る稲荷神社。
社には三枚の額が掲げられ、中央に白玉神社、右に七夕神社、
左に、玉繁神社、玉(寿?読めなかった)神社、と書いてあった。

ここでは都合三枚御朱印を頂いたが、何故か右端の分だけ「大阪城」が朱書き。
左二枚は、日が違うけれど、手跡的に同じ人。
人が違うからなのかな?

大阪城内にある神社。
大阪城は広いので、最寄り駅は多数ある。
地下鉄なら、大阪ビジネスパーク、天満橋、谷町四丁目、森ノ宮。
京阪なら、天満橋。
JRなら、大阪城公園、森ノ宮。
豊国神社なら、森ノ宮か谷町四丁目辺りが比較的近いかも。

天守閣への門の近くの、社号標。

一の鳥居。

鳥居をくぐったところに、豊臣秀吉の像。

二の鳥居は、四角い柱の住吉鳥居。


拝殿前の狛犬。

拝殿。
元は中之島にあったが、戦後大阪城に移転したとか。
御祭神は、「豊臣秀吉公」「豊臣秀頼公」「豊臣秀長卿」

裏参道の社号標。

裏参道の鳥居。
森ノ宮から上がってくると、たぶんこっちに着く。

境内社の鳥居。

若永神社。
今、じっくり見るまで、「若水神社」だと思ってたよ(;´∀`)
御祭神は宇迦之魂神。
元は、淀屋橋の豪商、淀屋の屋敷内にあった稲荷神社だそうだ。
與杼(よど)神社の、高灯籠の淀屋さんと同じなんでしょうか。

白玉神社。
こちらも宇迦御魂神を祀る稲荷神社。
社には三枚の額が掲げられ、中央に白玉神社、右に七夕神社、
左に、玉繁神社、玉(寿?読めなかった)神社、と書いてあった。



ここでは都合三枚御朱印を頂いたが、何故か右端の分だけ「大阪城」が朱書き。
左二枚は、日が違うけれど、手跡的に同じ人。
人が違うからなのかな?


平野神社 2
平野神社の社号標のあった道。
左側にはこんな社号標。

写真では、まったく見えないかも知れないが「蹴鞠之神社」と書いてある。

鳥居の階段を上ったところにある狛犬。
珠を持つ阿形の狛犬の、珠がちょっと変わってる。

吽形の狛犬の、足下にも「蹴鞠之神社」

阿形の持つ珠も、実は蹴鞠の鞠。

平野神社は蹴鞠之神社でもあるので、狛犬以外にも蹴鞠関連がある。
この拝殿にも。

床の空気穴も蹴鞠。

軒の灯籠も蹴鞠。

古札納所の両側の灯籠も。

火を入れる部分が蹴鞠。

御朱印を頂いたときに、一緒にいただいた由緒略記にも蹴鞠の説明。
そしてよく見るとご朱印に「けまり神社」と書いてある。

そして丸い方の朱印も、蹴鞠の鞠。
御祭神の精大明神(猿田彦命)が、蹴鞠の神様なんだそうだ。

左側にはこんな社号標。

写真では、まったく見えないかも知れないが「蹴鞠之神社」と書いてある。


鳥居の階段を上ったところにある狛犬。
珠を持つ阿形の狛犬の、珠がちょっと変わってる。

吽形の狛犬の、足下にも「蹴鞠之神社」

阿形の持つ珠も、実は蹴鞠の鞠。

平野神社は蹴鞠之神社でもあるので、狛犬以外にも蹴鞠関連がある。
この拝殿にも。

床の空気穴も蹴鞠。

軒の灯籠も蹴鞠。

古札納所の両側の灯籠も。

火を入れる部分が蹴鞠。


御朱印を頂いたときに、一緒にいただいた由緒略記にも蹴鞠の説明。
そしてよく見るとご朱印に「けまり神社」と書いてある。

そして丸い方の朱印も、蹴鞠の鞠。
御祭神の精大明神(猿田彦命)が、蹴鞠の神様なんだそうだ。


平野神社 1
鳥居 422~426
義仲寺 2
義仲寺の鎮守、木曽八幡神社。


そして私的メイン、巴御前。
義仲公の側室であり、武勇にすぐれ武将として義仲公と共に戦った美女。
昔、少女マンガで、もとやま礼子の「爆走!巴御前」というのがあってですね、
主人公は、巴御前が好きで、ダンプが好きが高じて、
巴御前のヘッドマークをつけたダンプの運転手をやっている女性、今井巴。
ひょんなことから木曾義仲と出会い、悪党とドタバタするコメディ。
それが大好きだった。
ええ、ここもマンガ始まりです(;^ω^)

義仲寺の境内には、巴塚(供養塔)が。

そして、山門の外になるけれど、矢印のところに、

巴地蔵堂。

巴御前を追福する、石彫地蔵尊。
義仲寺でいただいた案内によると、義仲公が、当地で討ち死にされた後、
見目麗しい尼僧が、公の墓所のほとりに草案を結び、日々供養されていた。
里人が問うと「我は名もなき女性」と答えたが、この尼こそ巴御前の後身だった。

お寺の方によると、近隣の方には、毎日お詣りに来られる方もいて、
「○○(失念)によく効く石があって、皆さん撫でて行かれるのでツルツルになってます」
とのことだったが、この石なのかな。
ツルツルだし。



そして私的メイン、巴御前。
義仲公の側室であり、武勇にすぐれ武将として義仲公と共に戦った美女。
昔、少女マンガで、もとやま礼子の「爆走!巴御前」というのがあってですね、
主人公は、巴御前が好きで、ダンプが好きが高じて、
巴御前のヘッドマークをつけたダンプの運転手をやっている女性、今井巴。
ひょんなことから木曾義仲と出会い、悪党とドタバタするコメディ。
それが大好きだった。
ええ、ここもマンガ始まりです(;^ω^)

義仲寺の境内には、巴塚(供養塔)が。

そして、山門の外になるけれど、矢印のところに、

巴地蔵堂。

巴御前を追福する、石彫地蔵尊。
義仲寺でいただいた案内によると、義仲公が、当地で討ち死にされた後、
見目麗しい尼僧が、公の墓所のほとりに草案を結び、日々供養されていた。
里人が問うと「我は名もなき女性」と答えたが、この尼こそ巴御前の後身だった。

お寺の方によると、近隣の方には、毎日お詣りに来られる方もいて、
「○○(失念)によく効く石があって、皆さん撫でて行かれるのでツルツルになってます」
とのことだったが、この石なのかな。
ツルツルだし。


義仲寺 1
大津市馬場1-5-12
ぎちゅうじ。
京阪膳所駅から、またはJR膳所駅から大津高校の方へ降りて、
北へ300mくらい。

この看板の向こう側。

山門。
ここをくぐって、寺務所の受付で拝観料を払う。
ご朱印もここでお願いする。
ここのお寺は、名前の通り、木曾義仲公の墓所のあるお寺なんだけれど、
松尾芭蕉が、この寺に再々訪れ、墓もある関係からか、
木曾義仲好きできたのか、松尾芭蕉好きできたのか聞かれる。
正直に巴御前が。
と言うと、巴御前のご朱印はないのでと、
朝日将軍(木曾義仲公)を、書いてくださった。
と、言うことは、松尾芭蕉の方もあると言うことか。


受付の隣の、芭蕉の史料館の前のは、芭蕉が植えられていた。

朝日堂。

ご本尊は、聖観世音菩薩。
義仲公らのご位牌を安置する。

翁堂。

正面祭壇に、芭蕉翁座像が安置されている。

天井画。

芭蕉翁墓。


いくつかのお墓や塔の写真を撮ったのに、
木曽塚(義仲公の墓)を撮り損なってるとか、もうね┐(´д`)┌
あきれつつ、次回へ続く。

ぎちゅうじ。
京阪膳所駅から、またはJR膳所駅から大津高校の方へ降りて、
北へ300mくらい。

この看板の向こう側。

山門。
ここをくぐって、寺務所の受付で拝観料を払う。
ご朱印もここでお願いする。
ここのお寺は、名前の通り、木曾義仲公の墓所のあるお寺なんだけれど、
松尾芭蕉が、この寺に再々訪れ、墓もある関係からか、
木曾義仲好きできたのか、松尾芭蕉好きできたのか聞かれる。
正直に巴御前が。
と言うと、巴御前のご朱印はないのでと、
朝日将軍(木曾義仲公)を、書いてくださった。
と、言うことは、松尾芭蕉の方もあると言うことか。


受付の隣の、芭蕉の史料館の前のは、芭蕉が植えられていた。

朝日堂。

ご本尊は、聖観世音菩薩。
義仲公らのご位牌を安置する。

翁堂。

正面祭壇に、芭蕉翁座像が安置されている。

天井画。

芭蕉翁墓。


いくつかのお墓や塔の写真を撮ったのに、
木曽塚(義仲公の墓)を撮り損なってるとか、もうね┐(´д`)┌
あきれつつ、次回へ続く。


濡髪大明神とか
知恩院の奥。
勢至堂。
経蔵の前を通って階段を上って、勢至堂。

ここのお堂の右側を通って、裏の方へ行くと墓地がある。

墓地の奥の方にあるのが、千姫のお墓。

ちなみにそのお向かいに、東山天皇皇孫女尊信女王墓。
そして、真の目的地は、千姫のお墓の向こうに見える、
そう、鳥居!

濡髪大明神。

御影堂ができたために住家を追われたキツネが、
知恩院第三十二世雄譽霊巌(れいがん)上人にお願いし、
代わりに用意してもらったのが、この「濡髪大明神」だそうで、
狐が童子に化けて出てきたときに、
髪が濡れた姿だったことに由来する名前だとか。
また、この狐がお礼にと、おいていった傘が、
七不思議のひとつの「忘れ傘」だとか。

帰りがけ、勢至堂の境内。
このお堂に、確か千姫の位牌があるとか。

位牌もさることながら、隣の仏頭。
大仏系の仏像的には、そう大きくないのかも知れないが、
頭だけ間近で見ると、ビックリするほど大きいな。

勢至堂。
経蔵の前を通って階段を上って、勢至堂。

ここのお堂の右側を通って、裏の方へ行くと墓地がある。

墓地の奥の方にあるのが、千姫のお墓。

ちなみにそのお向かいに、東山天皇皇孫女尊信女王墓。
そして、真の目的地は、千姫のお墓の向こうに見える、
そう、鳥居!

濡髪大明神。

御影堂ができたために住家を追われたキツネが、
知恩院第三十二世雄譽霊巌(れいがん)上人にお願いし、
代わりに用意してもらったのが、この「濡髪大明神」だそうで、
狐が童子に化けて出てきたときに、
髪が濡れた姿だったことに由来する名前だとか。
また、この狐がお礼にと、おいていった傘が、
七不思議のひとつの「忘れ傘」だとか。

帰りがけ、勢至堂の境内。
このお堂に、確か千姫の位牌があるとか。

位牌もさることながら、隣の仏頭。
大仏系の仏像的には、そう大きくないのかも知れないが、
頭だけ間近で見ると、ビックリするほど大きいな。


知恩院
京都市東山区林下町400
地下鉄だったら東山駅が最寄り。
私はバスで「知恩院前」へ。
バスを降りて、知恩院前交差点から東、華頂道を通って知恩院へ向かう。

道の真ん中に、なんかある。

瓜生石。
この石標の右上にある石。
知恩院の七不思議のひとつ。
>この石には、誰も植えたおぼえがないのに瓜のつるが伸び、
>花が咲いて瓜があおあおと実ったという説と、
>八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し
>一夜のうちに瓜が生え実ったという説が伝えられています。
>また石を掘ると、二条城までつづく抜け道がある、隕石が落ちた場所である等、
>さまざまな話が言い伝えられている不思議な石です
と、公式サイトに書いてあった。
瓜生石の後ろにも、門はあるけれど、三門目指して南下する。

三門。

三門くぐって、階段を上ると、御影堂(工事中)
手前の木と木の間にあるのが、朱印所。
ここで、御朱印を頂く。
知恩院に来た第一の目的は、この期間にもらえる、限定朱印。
もう終わっちゃったけど。

左は確か、法然上人、右が期間限定の、宝冠釈迦如来。

御朱印を頂いたら、次の目的地に向かう。
経蔵を越えて、その向こうへと、進みます。
つづく

地下鉄だったら東山駅が最寄り。
私はバスで「知恩院前」へ。
バスを降りて、知恩院前交差点から東、華頂道を通って知恩院へ向かう。

道の真ん中に、なんかある。

瓜生石。
この石標の右上にある石。
知恩院の七不思議のひとつ。
>この石には、誰も植えたおぼえがないのに瓜のつるが伸び、
>花が咲いて瓜があおあおと実ったという説と、
>八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し
>一夜のうちに瓜が生え実ったという説が伝えられています。
>また石を掘ると、二条城までつづく抜け道がある、隕石が落ちた場所である等、
>さまざまな話が言い伝えられている不思議な石です
と、公式サイトに書いてあった。
瓜生石の後ろにも、門はあるけれど、三門目指して南下する。

三門。

三門くぐって、階段を上ると、御影堂(工事中)
手前の木と木の間にあるのが、朱印所。
ここで、御朱印を頂く。
知恩院に来た第一の目的は、この期間にもらえる、限定朱印。
もう終わっちゃったけど。


左は確か、法然上人、右が期間限定の、宝冠釈迦如来。

御朱印を頂いたら、次の目的地に向かう。
経蔵を越えて、その向こうへと、進みます。
つづく


鳥居 416~421
松風天満宮(松宿院)
東山区新橋通大和大路東入る3丁目林下町406
京都市バス知恩院前で下りて、北側の交差点を東へ渡る。

白川を渡って、知恩院古門をくぐる。
門の内側だから、もう知恩院の一部なんだろうか。

名前だけ見れば神社風だけど、どう見てもお寺。
そして、開いてるけど入れない、よくあるお寺。

鳥居に向かって、門の前からお詣り。
写ってないけど、門の右側にも赤い鳥居がある。

門の横に由緒書き。
知恩院第三十二世松風霊厳大僧正が、西行法師が感得した
天神尊像を大伽藍に安置し、その後、この地に移し、
「松風天満宮・松宿院」と呼ばれるようになった。
前にも書いたかも知れないが、私は、こういう説明板は写真撮って、
家でゆっくり見る派。
だから、こういうことがよくある。

え?!
どれ?!

これ?
いや、そもそも、へたれの私には、門が開いてても柵のある状態では、
中に入れない。
入れる日があるのか?それとも戸を開けてはいるのか?
それとも、遠くから眺めるだけなのか?
うーん。
ハードル高い…

京都市バス知恩院前で下りて、北側の交差点を東へ渡る。

白川を渡って、知恩院古門をくぐる。
門の内側だから、もう知恩院の一部なんだろうか。

名前だけ見れば神社風だけど、どう見てもお寺。
そして、開いてるけど入れない、よくあるお寺。

鳥居に向かって、門の前からお詣り。
写ってないけど、門の右側にも赤い鳥居がある。

門の横に由緒書き。
知恩院第三十二世松風霊厳大僧正が、西行法師が感得した
天神尊像を大伽藍に安置し、その後、この地に移し、
「松風天満宮・松宿院」と呼ばれるようになった。
前にも書いたかも知れないが、私は、こういう説明板は写真撮って、
家でゆっくり見る派。
だから、こういうことがよくある。

え?!
どれ?!

これ?
いや、そもそも、へたれの私には、門が開いてても柵のある状態では、
中に入れない。
入れる日があるのか?それとも戸を開けてはいるのか?
それとも、遠くから眺めるだけなのか?
うーん。
ハードル高い…

