鳥居をくぐって
寺とか神社とか鳥居とか。
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かぶとみち
愛用の神社仏閣史跡巡りアプリ、ポケモンGO(笑)
ポケストップには多くの公園が登録され、
公園というのはその中とか周辺に、小祠やお地蔵さん、
史跡なんかが設置されていることがある。

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豊北(とよきた)公園。
チョケたお子様心をくすぐる形をしている。
とりあえずポケスト回しておく。
クルクル~。

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入り口の脇にはお地蔵様。

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入ってすぐのところのオブジェ。
切り株型のところに貼ってある言葉を読むと、
「この辺りから淀川にかけての一帯は昔から「かぶと」と呼ばれ、
「かぶとみち」の名前が今でも残っているのだとか。
横のグレーの物体はカブトムシなんですね、たぶん。

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地面にはカブトムシと折り紙のかぶとをデザインしたプレート。

でも「かぶとみち」のかぶとはカブトムシ由来じゃないよ。
「かぶとみち」の由来はここから北東に500mくらい行ったところにある、

P1420901.jpg

かぶと公園に。
ちなみにココはジム。
ポケGOのジム戦はやったことないので、とりあえずポケモンだけ探す。

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源平の戦いに敗れた平景清が、匿ってくれた伯父を誤って
殺してしまったのを悔やんで、この辺りで「かぶと」を脱ぎ捨てて
立ち去ったことが由来らしい。

そして、先日読んだ本に、この平景清の伝説が残る公園が、
また別にあるというので、そこへ向かう。
かぶと公園から北へ1キロちょっと。

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途中、雪鯨橋で有名な瑞光寺の近くを通ったので寄ってみた。

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アレ?なんか違う。

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13年4月の写真。
桜の木の向こうのおうちがなくなってるんだわ。
なんか建つのかな?

そんなことを気にしながら、次の公園に向かう。

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小松公園。
もちろんポケストなので回す。

ここに伝わるのは、「悪七涙池伝説」

平景清こと悪七が、壇ノ浦の戦いで敗れ小松にいた伯父、大日坊の元を訪れた。
大日坊は哀れんで土蔵に匿うが、落ち武者狩りは近隣にまで及び、
食事も十分に与えられなかった。
やせ細る悪七がかわいそうになった大日坊は、下男に「悪七に食わせるそばを打て」と命じる。
ところが土蔵の中の悪七は、これを「悪七を討て」と聞き誤り、
信頼した伯父まで俺を裏切るのかと腹を立て、いきなり飛び出して大日坊を斬り殺してしまった。
そこへ下男がそばを持って現れ、己の短慮に気づいた悪七は、
狂ったように外へ走り出て近くの池で血刀を洗い、
泣きわめきながらいずこへとも無く去って行ったのだとか。

この刀を洗った池(涙池)のあとがこの「小松公園」で、
大日坊誤殺を後悔して、二度と武士には戻るまいと、
甲を脱ぎ捨てたのが「かぶと公園」なんだとか。

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この公園には大きな石碑があり、これが「悪七伝説の碑か」と見てみると、
「上中島区割整理記念碑」
全然違うかったわ。


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伝法川跡
大阪市此花区伝法5丁目3

庚申堂から次の目的地に行く途中。
ふと横道を覗いたら、抜けたところに公園が見えた。
公園ならベンチもあろうと、一休みするために行ってみた。
ベンチに腰掛け眺めていたら、コンクリート壁に壁画が描かれている。
階段もついてて上れるよう。

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壁の向こう側はこうなっていて、伝法港という、淀川の漁港らしい。

伝法5丁目と書いたが、Googleマップだとこの辺は酉島2丁目っぽい。
伝法と酉島にまたがる地域にあるようだ。

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角っこに建って振り返ると、なにやら石碑が建っている。
横には此花おもしろトレイルルートの看板も有る。

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伝法川跡の石碑。

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裏側になにやら書いた石版があったけど、読めまへん(;^ω^)

おもしろトレイルの看板によると、昔は鴉宮の敷地は島になっていて、
伝法川の終着地点だったそうで、伝法地区にたくさんあった造り酒屋の酒を
江戸に運ぶ玄関口だったのだとか。


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傳法山 西念寺
近畿でお寺というと、まず奈良や京都。
でも結構大阪も寺が多い。
神社より多い。
観光寺院って言うか、入りやすく門の開いてるところは少ないけれど。

今回は伝法駅から淀川近くを西の方へ来たのだけれど、
お寺が3軒並んでいた。

で。
一軒のお寺の前に「此花おもしろトレイルルート」の看板発見。
此花区は区内の名所旧跡をつないでマップにし、
その名所旧跡に看板を立ててくれているのです。

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大阪市此花区伝法5-7

山門の前には、観音霊場の石碑と、伝法小学校開校之地の石碑。
門は開いてる。
だがお寺はなんとなく入りにくい。
どうしようかなー。
とか思いながらちょっと中を覗いてみると。

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お。
お参りしなければ(使命感)

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ご本堂。
ご本尊は阿弥陀如来らしい。
お坊さんがお掃除中なので、こそこそ写真を撮る。

お邪魔しないように、鳥居の右側のお堂へ。

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お堂の中は石仏がたくさん。

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真ん中にお祀りされているのは、「身づくり観音」という、十一面観音。
江戸時代に橋を架ける工事中に、川底から掘り起こされた観音様だそうだ。
なんか、お堂の裏に回ってお参りしなさいと書いてあったので、
裏に回ってみる。

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後ろ側には、石仏がいっぱい。

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ここから観音様をなでてお願いするとかなうのだとか。

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そして、さあいよいよ私的メイン(笑)
白龍大明神。
鳥居の左の石標には白龍大明神。
鳥居の額は、八大龍王尊、天神社、地主社。
お社の額は、天照皇大神、住吉大明神、濡髪大明神、傳法荒神、法道稲荷。

お参りしようとしたとき、ちょうどお坊様がお社の裏側を掃除されていたので、
長年の疑問を思い切って聞いてみた。

「お寺にあるお社にお参りするとき、柏手打っていいんですか?」

お坊様は、嫌な顔一つせず、
「同じ神様ですから、同じようにお参りください」
と教えてくださいました。

そうか!
ではココで一発景気よくパンパン!っと。

長年の疑問が一つ解けたー(゚∀゚)
ああ、でもココは天照皇大神とか天神さんとか住吉さんがお祀りされてるからな。
お稲荷さんだけとか弁天さんだけとかだとどうなんだろう?
天部の神様…神様だからいいのか。


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生國魂神社 2 ~旧ブログから
この記事は、このブログを始める前に、
「猫舌日記」「猫舌日記つづき」に取り上げた物を、
写真を増やしたり、書き直したりした物です。


大阪市天王寺区生玉町13-9

本殿の右側。

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上方落語発祥の地 米澤彦八の碑
毎年9月に彦八祭りが催される。

ここの並びに、

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天満宮。

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住吉神社。

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突き当たりに、皇大神宮。

また、拝殿の右を奥の方でなく、そのまま階段を降りて左に行くと、

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井原西鶴像。

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お正月にはお餅も供えられてます。

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西鶴像から道なりにそのまま進むと、外に出る。
出たところには、天王寺七坂の一つ「真言坂」
3年前に「天王寺七坂巡り」のスタンプラリーをやったんだけど、
今もやってるのかな?

「3」につづく。


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崇禅寺 2 ~旧ブログから
この記事は、このブログを始める前に、
「猫舌日記」「猫舌日記つづき」に取り上げた物を、
写真を増やしたり、書き直したりした物です。


大阪市東淀川区東中島5丁目-27-44

崇禅寺に何をしに来たかというと、あれがあると聞いてきたわけですが、
特に観光寺院というわけでもないので、分かり易い道しるべがあるわけでなく。
道しるべが全然無いわけでもなく。

とりあえず、御朱印をいただいたときに場所を聞いて、
墓地の奥の方へ。

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途中見かけた、なにやらそれっぽいもの。
「崇禅寺馬場遠城兄弟の墓」
だれ?
剣術の試合で、末弟に負けた相手が逆恨みをして、
闇討ちを仕掛けて殺す。
兄二人が仇討ちのため崇禅寺に呼び出す。
相手は多数の助っ人を呼んでいたので、返り討ちに遭う。
私は全く知らなかったけれど、
映画や落語の題材にされている有名な仇討ち話らしい。
Wikipediaで調べたら、敵を探して大阪に出た兄弟は、
生國魂神社近くで敵と出会うが、相手が「神域を汚すのは、ちょっと」
と言うので、じゃあ崇禅寺馬場で、と言うことになったらしいが、
神社はだめでも寺ならいいんかーいアァ?( ´Д`)σ)Д`)ァゥァゥ

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兄弟のお墓。

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「崇禅寺馬場遠城兄弟終演之地」の石碑と、
「遠城兄弟之塚」

そして、遠城兄弟の墓を通り越して。

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ここが目的地。

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中央に足利義教の墓(首塚)。
京都で足利義教を殺害した赤松満祐は、本領に戻る途中崇禅寺に
義教の首を置いていったと言うことで、当時の摂津守の細川家に
寄付を受け、義教の菩提寺の一つとなり、曹洞宗に転宗。
細川氏の菩提寺の一つにもなった。

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その右側に、徳叟亨隣大和尚の墓。

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そして、首塚の左がこれ。
秀林院細川玉子之墓。
オルガンティノが屋敷の燃え跡から遺骨を探し出し、
堺のキリシタン墓地に埋葬されたものを、崇禅寺に改葬したのだそうで。

まあ、葬式は教会葬をやったって言うし。
本人はお墓には居ませんってな歌もあるし。
寺に葬られてても、本人は、風になって近くの教会にでも行ってるだろうから、
いいんじゃないかな。


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